知的社会人として成立するための一般教養として いわゆる理科系人間について言われる言葉に、「専門○○」という表現があります。「専門のことしかわからない○○」というのが本来の意味ですが、最近は、「専門のこともわからない○○」という意味もあるようです。 さて、冗談はこの辺にして、(大学の正規の一般教育以外の)一般教養として必要だと感じたものを以下に列記します。いうまでもなく理科系人間にも広い教養は必要であり、同時に生活を少なからず豊かにしてくれます。学生のみなさんにとって読みやすいものを挙げました。
* 日本を理解するために 司馬遼太郎の著作、とりあえず三つ選ぶと、 「覇王の家」 徳川家康の成立過程を描く。二世紀半に渡って続き、今日まで様々な影響を及ぼしている江戸時代の始祖として。 「世に棲む日々」 幕末動乱期の吉田松陰と高杉晋作を描く。 「坂の上の雲」 明治の群像と日露戦争について。「歴史と視点」(新潮文庫)の2-4章もあわせて読むこと。 司馬氏の著作は、大きな影響力のゆえに、功罪両面があると言われますが、日本社会の理解には大いに役立ちます。「空海の風景」、「項羽と劉邦」なども楽しめます。
* 欧米の知識人を理解するために 「ソクラテスの弁明」(岩波文庫ほか) 議論を通じて真理に到達するというギリシアのソクラテスに端を発する基本的な考え方を理解するために。また、議論を成立させるための社会とはいかなるものかを考えさせます。日本社会が不合理から抜け出せないのは、「議論」が十分理解されていないからだと思います。
塩野七生の「ローマ人の物語」(新潮社)、とくに Tローマは一日にしてならず Uハンニバル戦記 WとX ユリウス・カエサル ローマの歴史は欧米の知識人の基礎教養であり、意識するかしないに関わらず彼らの思考の判断材料の大きな基準になっています。今日の先進国である英仏独がローマ時代にローマとどのような関わりをもっていたかも明らかになり、ヨーロッパの理解を助けます。カエサル(シーザー)を理解するためには「ガリア戦記」(講談社学術文庫ほか)も。
「歴史」ヘロドトス(岩波文庫) ペルシアとギリシアの攻防を描いています。ヨーロッパの後代に多大な影響を及ぼしました。ペルシャ王クセルクセスが登場するヘンデル作曲による「オンブラマイフ」(キャスリーンバトルによるCMで有名になりました)の歌われるオペラ「セルセ」が作られたことなどは、その多大な影響の小さな一例です。ヘロドトスの「歴史」に始まって、ローマ時代のローマとパルティアの戦い(クラッススや、アントニウスなど)にいたるまで、欧米の知識人は熟知していますが、これが現代の(一部の)欧米人の中東感に影響を及ぼしているのではなかろうかと心配になります。
「権利のための闘争」イェーリング(岩波文庫) ドイツ語のRecht(レヒト)には、「法」と「権利」の二重の意味があるそうです。自分の権利が(不当に)蹂躙されたとき、その権利のために闘うことは、自分のためだけでなく社会のためになる、また、自分の権利のために闘うことは、自分自身への義務であり、かつ国家や社会への義務でもある、と説きます。法律はお上が決めるもの、とか、和をもって尊しとなす、と考えがちな日本社会に、欠落している思想です。著者は言います、「レヒト(権利=法)の目標は平和であるが、そこに至る手段は闘争である」と。
新約聖書の福音書の一つ 新約聖書は、4人の筆者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)によるイエスの伝記(福音書と呼ばれる)と、パウロらの手紙、そして黙示録からなっています。マルコの福音書がもっとも簡潔で読みやすいと思います。ヨハネの福音書はオリジナリティにとんでいて、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」の有名な文章から始まります。ルカの福音書がもっとも美しいとされています。 「ルネサンスの歴史(上下)」 I.モンタネッリ (中公文庫) ルネサンスの群像とともに、イタリアは何故分裂し続けたのか等の興味深いテーマが語られます。プロテスタントの勃興と、イエズス会の台頭、そして、マックスウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」につながる記述など極めておもしろい内容です。
* アメリカの精神的基層を理解するために 「フランクリン自伝」(岩波文庫) 建国前夜のアメリカでの合理性と進取の精神の理解として。フランクリンはまた、電気に関する先駆的な業績を残しました。プラスとマイナスを決めたのもフランクリンです。拙著「高校数学でわかるマクスウェル方程式」でも触れました。
「哲学の改造」 ジョン・デューイ(岩波文庫) 20世紀のアメリカに大きな影響を及ぼしたプラグマティズムの理解のために。 「近視眼的であること、目先の必要に追われて未来を犠牲にすること、不愉快な事実や力から目を背けること、切迫した欲望に従うものならその永続性を誇張すること、これらは科学的でも合理的でもない」 「目的を持つと言いながら、目的達成の手段を無視するのは、この上なく危険な自己欺瞞だ」など。
*科学の歴史について 「近代科学の誕生」 H.バターフィールド(講談社学術文庫) 科学革命の理解のために必須の書 。
「科学革命の構造」 トーマス・クーン(みすず書房) パラダイム論の始祖。上記の「近代科学の誕生」の影響をうけています。
「千の太陽よりも明るく―原爆を造った科学者たち」 ロベルト・ユンク (平凡社ライブラリー) 量子力学の発展期から核兵器開発の歴史を描く。残念ながら、固有名詞の誤訳が多い。 Massachusetts Institute of Technology → 誤)マサチューセッツ技術研究所→ 正)マサチューセッツ工科大学 Goudsmit → 誤)ゴーズミット → 正)ハウトシュミット など。
*遺伝子と進化について 「利己的な遺伝子」 リチャード・ドーキンス(紀伊国屋書店) おそらく21世紀の理科系研究者にとっての必読書。「遺伝子」を主人公として生物を理解します。「動物はなぜ、血縁のない個体より血縁のある個体を保護しようとする本能があるのか?」などの疑問に答えが与えられます。余談ですが、最近マスコミなどで「進化」を間違って使っているのが気になります(近年のパソコンの進化はめざましい?・・とか)。
「二重らせん」ジェームス・D・ワトソン (講談社文庫) ワトソンとクリックによる二重らせんモデルの提案の経緯が記されています。ただし、ワトソンの一方的な価値観によって描写されているということで後に大きな批判を浴びました。とくに、ロザリンド・フランクリンに関する描写が不当であるとされています。「ロザリンド・フランクリンとDNA―ぬすまれた栄光」アン・セイヤー著によると、ワトソンらは、フランクリンの未公開データを元にDNAモデルを提案しながら、フランクリンにはその事実をいっさい告げず論文にも書きませんでした。フランクリンは1958年に37才の若さでガンで亡くなりましたが、その4年後にワトソンたちがノーベル賞を受賞しました。ワトソンは研究者のモラルという意味では、良い反面教師です。
*インド哲学について 「バガヴァッド・ギーター」(岩波文庫ほか) マハトマ・ガンジーの座右の書とも言われていますが、よい翻訳はありません。ヘッセの「シッダールタ」にも影響を及ぼしているようです。「成功と失敗を同一のものと見なし、思い惑わずに着実に汝の義務を果たせ」と呼びかけます。根底には、「梵我一如」と表現されるように、梵(宇宙の真理のようなもの)が、我(自分自身)の中にも、また、世界のあまねく場所の過去から未来にいたるどの場所にも存在し一体化しているという思想があります。シュレディンガーが「わが世界観」(ちくま学芸文庫)の中で、この点に言及しています。
「般若心経」(岩波文庫ほか) 仏教はある時期から「無」の思想を取り込みました。「ゼロ」を発見したインド哲学の反映でしょうか。般若心経は、大乗仏教のもっとも重要なお経の一つです。「諸現象(色)はすべて無(空)である = 色即是空」という一見矛盾しているようにも見える論理を含むため、様々に解釈されました。お経は、サンスクリットで書かれた原典が、唐の時代などに中国語に翻訳され、そのまま日本に持ち込まれました。そのため、サンスクリットの音がそのまま残っている部分と、中国語に訳された部分とが混在しています。たとえば、般若は、原語(パーリ語)のパンニャー ( = 知恵)をそのまま残しています。一方、「心」は中心的という意味で漢訳されています。多くのお経は現在では、(現代)日本語訳を読むことができます。
*より広い意味で 「夜と霧−ドイツ強制収容所の体験記録」 V.E.フランクル(みすず書房) 心理学者フランクルの貴重な体験報告(世界で900万部以上)。この体験のもとに実存分析を発展させました。みすず書房の旧版は前半を他の筆者による解説が長々としめていますが、個人的には、この解説は余分だと思います。また、2002年10月に、読みやすい新訳が出ました。 フランクルは一連の著作の中で、人が真に求めるのは富でも名声でもなく、「生きる意味」であると説きます。「生きる意味」を見失ったとき、人は崩れると。本書の最後で、「生きる意味」に関するコペルニクス的転回が待っています。
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Department of Applied physics, Waseda University
3-4-1 Ohkubo, Shinjuku-ku,