超高速現象とは何か
-- 竹内教授による解説 --
超高速現象の世界という言葉を聞いてみなさんはどの程度の時間を思い浮かべるのでしょうか。おそらく普通認識するもっとも短い時間は「一瞬」という時間でしょう。これは、その言葉どおりにとると、"まばたきするほどの短い間"、という意味になります。まばたきの時間ということになると、おそらく10分の1秒ほどの時間です。 さらに速い時間というとどうでしょう。直接、身近なものとして認識できるかどうかはわかりませんが、オリンピックの100メートル走などでの計時に使われる100分の1秒単位の時間などが思い浮かびます。 さて、半導体中での超高速現象の世界というのはどの程度の時間を指しているのでしょうか。答えを言うと、それはおよそ1兆分の1秒(ps = ピコ秒)程度の速さということになります。1兆分の1秒の速さというと、想像もつかないと考える方がいると思いますが、この時間は、光が走る距離でたとえることでもう少しわかりやすく理解することができます。光は1秒間に30万キロ進みますが、これは地球を7回り半する距離になります。ですから、人間が一瞬だと考える0.1秒あまりの時間に光は地球をほぼ一周してしまうことになります。その光が、1兆分の1秒の間に進む距離はどれぐらいかというと、その距離はわずか300ミクロンになります。つまり、1ミリの3分の1ほどの距離ということになります。図1に示したように、地球を一周するほどの距離(人間の認識の一瞬)と、身近にあるものさしの1ミリの目盛りの3分の1(半導体の超高速現象)との間に大きな差があることがおわかりいただけると思います。 図1 それでは、どうしてこんなに速い現象を調べるかというと、半導体を使ったさまざまなデバイス(トランジスタやレーザなど)のスピードに、いっそうの高速化が要求されているからです。これらのデバイスが高速化されれば、より多くの情報をより迅速に処理することが可能になります。一例をあげるならば、ゆっくりとしかあらわれないインターネットの画像にいらいらしている人も数多いでしょう。近未来の超高度情報化社会を実現するためには、より高速の物理現象をみつけだして人間にとって操作可能なものにすることはとても大事なことです。 では、そういう超高速の世界を調べるのに何を使えばいいのでしょう。たとえば、長さを測るためには、ものさしが必要になります。ここでものさしの目盛りを思い出してみて下さい。たとえば、普通のものさしだと最小の単位が1ミリだと思います。その場合、実際に測れるのは1ミリより長いものだけです。たとえば、長さ150ミリのボールペンとか、長さ30ミリの消しゴムだとか。このように、何か(たとえば、消しゴムの長さの 30ミリ)を測るためにはその何かの量よりも少なくとも一桁以上小さい基準(たとえば、ものさしの単位の1ミリ)が必要になります。 超高速現象を測るためには、この目盛りに相当する極めて短い時間の基準として、光のパルスを使います。今、大学などの研究の現場で使われる光パルスの時間幅は、おおよそ 100 fs(fs = フェムト秒)程度です。これは10兆分の1秒という短い時間であり、光がわずか30ミクロンしか走れない時間に相当します。さらに高速の時間領域で今までに人間が作り出した最短の光パルスということになると、その時間幅約5 fs で、光がほんの1.5 ミクロンしか進めない距離になります。 このように極めて短い光パルスを使って超高速の現象を調べるわけですが、光パルスの時間幅は短ければ短い方がいいかというと、やっかいなことにハイゼンベルグの不確定性原理と呼ばれる物理の原理が顔をだしてきて、そう単純には行かなくなります。これは、時間とエネルギーの間に不確定性があるというもので、時間を短くするとエネルギーがぼやけてくるという関係になっています。光にとってのエネルギーは色に対応するので、これは計測する時間が短くなるほど色がぼやけてくることを意味します。たとえば、空想の話として1 fsで、赤から青に切り替わる信号があったとします。もし、1 fs の信号の切り替えが観測できたとしたら、どちらかの信号が消えて、どちらかの信号がついたということはわかりますが、赤と青の色の区別はまったくつかないということになります。したがって、色の識別がほどほどにできる時間であって、しかも高速の時間ということになると100 fs秒ぐらいが手頃な時間ということになります。 図2 この短い光パルスで計測しているものの一例をお見せしましょう。図2に示したのは、半導体の中での電子のスピンの向きの時間変化を測った例です。円偏光とよばれるグルグル回りながら前進する光を使うと、半導体中の電子のスピンの向きをそろえたり、そのスピンの数を測ることができます。図3に円偏光の光パルスが進む向きと、電子のスピンのそろう向きの関係を書きました。図2では、初めに全部左向きだったスピンが、左向きと右向きの半々に変化していく経過が手に取るようによく見えています。この時間変化が、3 ps 秒ぐらいの極めて短い時間で起こっていることにご注意下さい。3 psというと1兆分の3秒という短い時間です。 図3 応用の面では、当然、この高速のスピンの変化を応用して人間の役に立つような、ものすごく高速のデバイスをつくれないだろうか、あるいは、つくるためにはこの高速の現象をどうやってコントロールすればいいのだろうか、という考えが浮かんできます。このスピンの現象だけでなく、様々な超高速の現象を調べ、その物理を探求し、さらに応用に役立てること、それが当研究室のテーマです。また、別の側面で見るならば、人間の到達可能なもっとも速い現象を調べるということは、それだけで充分な知的冒険だと思います。若いみなさんの将来の参加を期待しています。 |
参考図書
「超高速現象の世界 −応用物理の最前線−」Amazon Kindle 上記より詳しく解説しました。 上記の内容よりかなりレベルが高くなりますが、大学高学年から大学院レベルのこの分野(光エレクトロニクス関連)の参考書を挙げておきます。興味のある方はご参照下さい。 「超高速光エレクトロニクス」末田正・神谷武志共編, 培風館, 1991年 レーザによるパルス発生から、半導体量子構造とその物理、さらに超高速光デバイスまで網羅的に記述されています。 「超高速光デバイス」斎藤富士郎 著, 共立出版, 1998年 超高速光デバイス全般にわたって記述されています。第1章の情報通信量の年次変化の予測では、電気通信系メディアによる情報量の増大が急であることが示され、超高速デバイスの必要性が説かれています。 |
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